(学習支援プログラムの様子)

◆ 「家にいると息が詰まる」

「子どもの貧困」が叫ばれ、国も「子どもの貧困対策法案」を国会で成立させた2013年。貧困は単純に所得の問題だけでなく、低所得になった要因としての個人要因、環境要因をしっかり読み解く必要がある複雑なものです。所得が低い状況にあっても幸せに暮らす方々がおられるように、「貧困≠貧乏」です。

「貧しく」「困っている」状態である貧困は、何に困っているのかということに想像力を働かしていくことが大切だと思っています。

そのなか、私たちが普段取り組んでいる「子ども」たちは何に困っているのか。

そんな子どもたちのなかのある1人が言った言葉が冒頭の一言。みなさんにも大なり小なりそういう気持ちになることもあると思います。多くの子どもたちは、友達やまわりのおとなとのコミュニケーションによって、さまざまな状況に対応できるコミュニケーションを身につけ、また心を落ち着かせる術も身につけていきます。

しかしその経験が極端に少なく、どうにもならないエネルギーを家で、力任せに暴言や暴力で発散してしまう。そんな自分がダメなことも自覚はしているので、我慢しようとする。そんな我慢が息を詰まらせていく。息抜く場であるはずの家だったのに。

(生活支援プログラムの様子)

◆ 「家、学校、地域、、、そこに居場所がなければ」

家が居場所にならないということは思いのほか多く、またその原因もさまざまです。

三世帯家族であっても、祖父母が介護が必要な状況で介護をしている母、認知症などもあり介護がしんどくノイローゼに。その不満を父にぶつけるも、仕事でストレスを抱えて帰宅する父に受け止める力はなく、夫婦喧嘩が耐えない。結果、父は喧嘩するくらいならと家に帰る時間が遅くなる、お酒でごまかす。さらにしんどくなった母は鬱に。父が状況に気づいたときは手遅れ。そして両親は完全にコミュニケーションがとれないくらい関係悪化で離婚。その間弟の面倒をかろうじて見ていた私は、家事全般をひとりでこなす。父が去り、より家をなんとかしないとと家事をするが、もちろん体力的にしんどく学校も休みがちに。休んでいる間についていけなくなった勉強。たまにいっても、「なんで休んでる?」「こんなんもわからないの?」「お前のじいさん徘徊しとったで」、、、行く気も失せる。町内からは祖父の徘徊や迷惑行動に最初はやさしかったのですが、だんだんクレームの対象に。弟は学校でいろいろ言われ公園で同級生と大声出して喧嘩。地域から学校に「喧嘩なんとかしろ」「静かにさせろ」と連絡がいくので、先生が対応して家に連絡してくる。「しっかりしなさい」「ちゃんとしなさい」「勉強もおくれているんだからちゃんと学校きてがんばりなさい」、、、無理です。家の中は息がつまり、学校、地域には居場所も頼るつながりもない。どこで歯車は狂ったのか。一度狂いだしたら、割る方へ悪い方へどんどん孤立していく。

このような「居場所を失っていく」話は、実際に私が代表をつとめる山科醍醐こどものひろばの活動に参加している子どもたちの中のエピソードや、全国のさまざま支援活動をされている方々から伺ったお話をつないで描いてみたものです。いかがでしたか。思った以上に自然に貧困になり、つながりを失っていく感じがしませんか。貧困というものはさまざまなものを子どもたちから奪っていきます。その奪い方はまるで呼吸をするかのように自然に、子ども自身が「私何か悪いことした?」と自分を責めたくなるくらいに奪っていきます。今回は「つながり」を軸に、前回に引き続き「子どもの貧困対策」について書いていきたい思います。

<2013年08月号 vol.6>貧困が子どもから奪っていくものとは何か?-将来、働くという選択肢を失った子どもたち


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