◆ 「どうせ僕は将来ニート」

先生「うちの学区には、コウソウがあるんです。」

私「コウソウ?それはなんですか?」

2005年に私がキャリア教育コーディネーターとしてある地方都市の小学校へ行った時のことでした。総合学習の担当の先生に、その学校の課題についてのヒアリングさせて頂いていました。先生はため息混じりに話を切り出しました。

ちなみに、"キャリア教育コーディネーター”とは、小学校から大学まで、総合的な学習の時間(総合学習)などの授業に、学校外部の様々な職業や生き方をしている市民や企業などを活用した授業や、インターンシップなどのキャリア教育等の授業づくりを支援する専門家です。先生と打ち合わせを重ねて、プログラムの企画を一緒につくるのが仕事です。

先生「コウソウって五階建ての高層アパート・県営住宅のことですよ。家賃が安いから、低所得者層の家庭が多く住んでいて、まわりに昼間から仕事をせずにプラプラしている大人もたくさんいる。だから、『どうせ僕は将来ニート』という児童がけっこういるんですよ。」 

私「えーっ。小学生なのにですか。まだまだいくらでもチャンスがあるのに。」


先生「周りの環境に影響されるんです。それほど不幸せに見えないし、勉強は面白くなければ、どうしても安易に流れてしまう。教員もそんな生徒にも、『それじゃダメだ』と伝えているのですが、これが難しい・・・。」


私は、この学校では、母子家庭に生まれでその母親がアルコール中毒になり、最悪の経済状態から這い上がった市民の体験談の授業を行ったのですが、あまり効果がありませんでした。講師のいい話を聞いて、その時は希望が持てたとしても、圧倒的に大きい貧困の環境要因に対してはこれでは不十分でした。

「彼らにこそ、もっと充実した教育環境が必要だ!」と痛感しました。思い出してみると、私が小学生の時にも、こうした市営・県営のアパートは周りにたくさんありました。社会全体がイケイケどんどんの前向きな空気もあり、少なくとも小学生では、友人たちはそれぞれに夢をもっていて、元気だった気がします。それが、バブル崩壊後、社会が低迷し、閉塞した大人に囲まれる中で、本来であれば、将来の夢や希望に溢れているはずの小学生でさえ、夢も希望ももてない状況がなっています。



◆ 圧倒的な格差の前で、消えていくハングリー精神

正に「希望格差」とも呼ぶべきこの状況は、その後、現場の教員と話をしていると、ますます強まっていると感じます。

小学校・中学校は、義務教育ですから、どんな経済状況でも就学援助があり学校に行けます。しかし、高校になれば、親がリストラや倒産などで経済状況が困窮すると、高校を辞めざるをえなくなったり、その後の進学を諦めなければならない状況になります。高校の教員との話の中から、「親がリストラされ、学費が払えない」とか、「保険証をもっていない生徒がいる」など、学びの質の前に生活そのものが困窮している話になることも少なくありません。

私が運営に携わっている愛知私学奨学資金財団には、2月のこの時期は、「卒業時に授業料が払えないと卒業できないから」と駆け込み申請が急増します。今月はすでに6名の申請を受け付けました。

「ハングリー精神」なんて言葉がありますが、それには「自分もがんばれば、この状況を脱することができる」という自己効力感があればこその話です。 そもそも圧倒的な格差のなかに長期間置かれた子どもは、意欲を喪失し、「金持ちと結婚したい」とか、「生活保護うけて、働かずに生活したい」など他力本願になるか、冒頭の小学生のように「どうせニートに」等、自暴自棄になってしまうのです。

経済的な格差が広がっている今こそ、教育の充実により、どんな状況におかれた子どもにも、「努力すれば、今の状況から脱することができる」、「目標を持って行動することが楽しい」など、自分の人生に主体的、前向きになれる出会いや達成経験などが生まれる、「格差を超えるための教育環境」をつくることが急務です。

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