(活動場所での集合。夏場でもマスクをしている。)

◆ 福島で生き続けることを選択するということ

東日本大震災が発生した後、福島第一原発事故の影響で屋外活動が制限されている福島県の子どもたちの支援を行ってきました。せめて学校の長期休暇に、何の心配もなく、思いきり「子どもらしい生活」を送ってもらうと同時に、多様な体験や人とのコミュニケーションを作りだすことを目的とした子どもたちの「学びと育ち」を支援する教育事業を実施しています。全国各地でご協力を頂き、これまでに約3,000人の福島の子ども達が参加しています。その活動の中で、こんな親御さんからの手紙を頂きました。


「今は震災前と変わらない生活を送っていますが、心の中では(本当にこれで良いのだろうか)という不安が常にあります。しかし、福島に生まれたのが、この子の運命ならば、精一杯生きて欲しい。勉強、スポーツ、そしてたくさん遊んでいろんな事を経験して欲しい。そしていつか人の役に立てる人間になる事ができたらと思います。せめて夏休みくらいは、自然の中で思いっきり、のんびり遊んで欲しいと思います。そして生きる力を学んで欲しいと思っています。(以下略)」



「わが子を少しでも見えない放射線から解放させてあげたい。健康を維持して欲しい。そして社会にこの活動で得た多くの人たちに恩返しをするような大人になって欲しい。」



「震災に伴う原発の放射能問題の中で、私は様々な活動をする方たちと話をしたり、時には活動に参加したりしました・・・ですがその活動のほとんどが福島から逃げろ!原発を廃止しろ!というものでした。子供を連れなかなか避難にふみきれない私は『娘さんがこのまま福島に残り被ばくし将来好きな人が出来た時に相手の家族から差別を受け結婚できなかったら避難しなかった親の責任です!』『たかが派遣の仕事と子どもの将来どっちが大切なのか!』などと言われ続け少し放射能ノイローゼ気味になり避難したい私と避難しない主人との間でケンカが絶えず、間に挟まれた娘には相当な不安やストレスを与えていたと思います。」


これは、親の切なる願いです。時間が経過する中で、様々な理由から福島で生きることを家族みんなで覚悟を持って決断した人達がいます。


(山積みにされた除染廃棄物の黒い袋。町の至るところに見られる。)

◆ 見えない、無臭の放射線の対応に悩む親達 

福島で暮らしながら子育て真っ最中の親は、県外へ避難すべきか、どこの家庭も悩み、葛藤の繰り返しです。国の放射線の基準も事故後変わるなど、信頼できるかどうか、根底が崩されてしまった状態の中、さらに不安な心が揺れ動いている現状です。

モニタリングで検査態勢も整いつつある学校給食ですが、牛乳、野菜など福島県産を調理している事に抵抗感を抱く母親が、お弁当を持たせていました。それが時間の経過と共にお弁当の子が少なくなって来て、続けている小学5年のC子ちゃんが、ある日「お母さんクラスでお弁当は私だけ、なんで私だけなの?」と目を潤ませて訴えたのです。お母さん「ごめんね。でもあなたの命を守る事はこれくらいのことしかできないの」と・・・学校で置かれている立場も分かる。子も辛い、親も辛い日常です。

体育・運動会・部活、外の活動は大丈夫なのでしょうか?学校で行われる運動会にも変化がありました。運動会の名称ではなく「スポーツフェスティバル」体育館で時間を短縮して午前中で終了するというパターンが広がりました。翌年の2012年度は、校庭の除染も終わったので、運動会が復活したのです。しかし、短縮型でお弁当を外で賑やかに食べる光景はありません。風が吹き土埃が舞う。マスクもしないでと親達は不安を抱きながら、体育・運動会・部活動を見守っているのです。

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