Eduwell Journal

2020年6月号 vol.88

コロナ禍のオンライン時代に考える「子どもの居場所」-子どもが本当に居たい場所や時代とは何かを見つめ直す

2020年09月10日 11:23 by shota_miyake

全国的に順次学校が再開し、子どもも大人も一旦元の生活に戻りつつあります。3月の新型コロナウィルスによる全国一斉の臨時休校の要請から3ヶ月が経ちました。これから徐々に、休校による影響は目に見える形で出てくるでしょう。

「人と距離を取らなければいけない」という、現代では誰もが人生で経験したことのない事態。2000年代に入り、人と人がつながることで豊かさや価値を追い求め、社会課題の解決を目指そうとした時代に、新型コロナウィルスは何を私たちに教えてくれたのか。緊急事態宣言が解除され、節目を迎えた今だからこそ得た教訓を整理してみたいと思います。

(地域によって状況は様々。同じ地域でも子どもにとってのコロナの受け止め方は異なります。グラフィックは、紀奈那さん。)

前例のない試行錯誤が続いた3ヶ月間

臨時休校が決まってからこれまでに「今だからこそできることは何か」、「子どもたちにすべきことは何か」の声をより一層聞くようになりました。

家族の時間の増加による虐待のリスク、給食がないことによるリスク、授業の遅れや学習・生活リズムの崩れなどのリスクなど、学校がストップしたことで子育ちのリスクが高まったと危機感が共有されているからだと思います。

人が集まれない中で、どのように安心・安全の居場所を確保するか。

・公共施設が使えない状況で、オンライン活用による学習支援や居場所づくりのチャレンジ
・子ども食堂からフードバンク・フードドライブ的な食事とつながりを作るチャレンジ
・生活の安全を守るシェルターやシェアハウスなど緊急支援のチャレンジ

など、これまでの活動形態にこだわらない、試行錯誤の段階がこの3ヶ月だったかと思います。

逆に「もっと○○すべきではないか」と、支援や活動の質や量、回数、手法に賛否両論たくさん議論や批判も巻き起こった時期でもありました。「大変だから」と言われれば、確かに何かをしなければいけない気持ちにはなります。また、周りでいろんなアクションがスタートしているからこそ「本当にこれでいいのか」と葛藤し続けている人も多いかと思います。

「ゆっくり急ぐ」という変化のあり方

ニュースやSNSを見ると励まされることもあれば、それ以上にエネルギーを吸われていることもあります。誰もが新型コロナで何かを我慢している以上、何もしないことや変わらないことが悪ではないはずです。まずは、自身のリアルで目の届く範囲の環境が落ち着くまで休んでもいいはずです。

ずっと前に「世界の平和より家庭の平和」と教えてもらったことがあります。大人も子どもと同じで、頑張ろうと背伸びし続けるより、次に大きな波がきた時にジャンプできるように、屈伸したり、膝を休めたりすることが必要だと思います。

教育現場も子育ちの環境も従来通りでは、誰かに子育ての負担が集中してしまい、安心安全の子育ちからは程遠いはずで、新型コロナの機会を活かして変化を求めるのは賛成です。だからこそ「ゆっくり急ぐ」というのでしょうか、自分も他人も追い立てたてるよりは、まずは一旦落ち着くところからスタートしたいところです。


(コロナ休校中に一番流行ったボードゲーム「パンデミック」。みんなで封じ込めの難しさをゲームから学びました。)

時間割のない生活を過ごすということ

改めて臨時休校期間の3ヶ月を子どもの視点で振り返ってみたいと思います。

臨時休校を経て、子どもにとって一番大きな変化といえば、時間割のない生活を過ごすことではないでしょうか。新型コロナの前の生活には、1日のうちに「自由時間」ではなく、子ども自身が自分で時間を決められる時間や、自分自身のために使える時間はどれくらいあったかのでしょうか。

「塾にいかないとついていけない」と言われるここ10年、15年。自分の意思では決められない時間が日常生活では多く、逆にいえば、誰かに決めてもらう時間が多くを占めていたかと思います。また、近年では、ヤングケアラーと言われるように家族のお世話や家事で忙しいこともあります。

学校の勉強、塾や習い事、友達付き合いや恋愛、趣味や遊び、それに加えて、家事や家族のお世話となれば、本人にとっても想像以上に「やりたいこと・やってみたいこと」を無意識のうちに我慢しながら過ごしていたかもしれません。勉強でも友達付き合いでも、すべてが順調に毎日送れるわけでもありません。トラブルやストレスはつきものです。

子どもは休校期間をどう見ていたか?

そこで突然の臨時休校となりました。大人側では心配や不安の声が圧倒的に多かったですが、子どもにとっては休校に対してポジティブに捉えている人が多かったかと思います。もちろん、

「毎日がひま」
「ずっと誰かの面倒みとかないといけない」
「好きかと思っていたものをやり続けたら飽きて、今することない」

と、休校が長引き、外出自粛で寂しさやストレスを感じていたことも見落としてはいけない気持ちです。ゲームも、勉強も一人でずっとやっていても多少不安は軽くなるのかもしれませんが、満たされる気持ちにはなかなかなりません。

5月末に休校について尋ねてみると、

「休校は続いてほしい!」
「学校は週3日くらいでいいかも」
「友達には会いたいけど・・・」
「さすがに勉強しなさすぎたら、自分たちアホになるわ」

と学校に行きたい声もあれば休校生活を望む声もありました。

休校によって初めて一人になれたことで、友達付き合いを気にせずに気持ちを休めた人もいれば、新しい趣味を見つけて何かに没頭できた人、毎日いろいろしてたら休校が終わっていた人、家族とずっといるのがしんどかった人、同じ地域でも休校期間の受け取り方は多様です。


(アナログでも定番の絵しりとり。使い慣れないツールだからこそみんな楽しくかけるかも。)

再びコントロールされる時間の多い日常へ

「おうち時間」や「ていねいな暮らし」といった言葉がテレビやSNSではたくさん使われていました。そんなことを言ってる場合じゃない、他人のキラキラした生活を見てるとしんどいと感じた方も多いかと思いますが、新型コロナを機に改めて生活や暮し方を見直した人が多い時期でもありました。

「自分が過ごしたい時間とはなにか」
「どうすれば自分は満たされるのか」
「どうすれば自分は休めるのか」
「何も考えずともやってみたいことはなんだろうか」
「休み知らずで没頭できることとはなんだろうか」

子どもにとっても自分が過ごす時間の価値や意味を、初めて自分で見つけて意味づけしなければならなくなってしまったのが、今回の新型コロナの休校だと思います。

6月からは、またコントロールされる時間・大人に決めてもらう時間が多い日常に戻っていくかと思います。

「大人だけで勝手に決めないで」

学校生活が戻ることが、なぜ、子どもにとってうれしいのか・つらいのか。なぜ、大人にとって安心なのか・不安なのか。

主語を分けて、それぞれの気持ちを確認する必要があるのではないでしょうか。そこから初めて「学校が本来果たす役割、機能とは何か」、そして、「これからの地域社会でどのように子育ちの役割分担をするのか」が見えてくるのではないかと考えます。


(最低限の人数で開催された卒業式。寂しいけど、できなかった分また集まれるといいですね。)

「つながり」は、時として「しがらみ」に

「つながり」という言葉は確かに響きとしては美しく、これだけ社会の中で孤立・孤独と言われている中では、「つながりづくり」があらゆる社会課題の解決として使われる言葉でもあり、イメージでもあると思います。しかし、新型コロナの外出自粛を経験した上で、本当に誰もがそんなにつながりを強く求めていたのでしょうか。

確かに、寂しさや満たされなさで、誰かにそばにいてほしい気持ちは強くあったのかもしれません。学校が徐々に再開している今、一番多く出る話題が「友達」の話題です。

年度が変わりまず待ち受けるのが「誰が同じクラス」なのかであり、「友達ガチャ」「クラスガチャ」と言えば今の時代にぴったりなのかもしれません。アニメや漫画で描かれるようなキラキラした人間関係や恋愛、青春時代が理想の学校生活ではないかと憧れてしまいがちです。友情は地域のつながりと同じで、時として「しがらみ」になります。

一緒にいることだけがすべてではない

ずっと学校で同世代と過ごす時間が多かった新型コロナ前、そして、ずっと一人で過ごす時間が多かった休校期間を経て、きっと「誰かとはいたいけど、誰かとずっと一緒にはいたくない」のが正直なところではないでしょうか。家族も友達も親も先生も、ほどよい距離間隔が必要かもしれません。

「つながりたいのは大人だけじゃない?」と、この緊急事態宣言の時期に居場所づくりの先輩に教わったことがあります。「クラスのみんなが一致団結・仲良く」というしんどさと同じで、つながる・つなげるだけでは、むしろしんどさを大きくしてしまうことがあります。今回のコロナでいえば、実際に定期的に会うことよりも、気にかけてくれる人の存在とそのメッセージが伝わることのほうが大事な局面でした。リアルに会わなくても、ちょっとした手紙といったコミュニケーションが途絶えないことに意味を感じました。

誰と一緒にいたいのか、誰と距離を置きたいのか、本当に同じ空間だけに集まり続けることだけが大事なのか、子どもの今の気持ちを尊重した上で、改めてリアルでもオンラインでも子どもが集まる場、子どもと集まる場の子育ちの環境整備について見直したタイミングでした。


(会えなくても、つながりは感じられるものはあるかも。あたたかさとはなにか。)

「遊びの保障」もできる時代に

公共施設が使えない中で、オンラインというオープンスペースでどのように集い、仕事をしたり、遊んだり、居場所づくりができるのかが試されてきました。オンラインだからこそ距離を超え、今まで出会えなかった人と出会えたのは実感として大きかったのではないでしょうか。

とはいえ、実は新型コロナ前からオンラインを活用しての居場所づくりや学習支援はあったことも忘れてはいけないことで、「オンラインだからこそできること」を子どもにあわせて作ってきたのではないかと思います。

それらの実践を踏まえた上で、繰り返しにはなりますが、緊急事態宣言が解除された節目の今だからこそ、この3ヶ月に私たちが感じてきた気持ちを大切に忘れないようにしたほうがいいのではないかと思っております。

「家庭でずっと子どもを見るのは大変」
「学校がないだけで、これだけ暇」
「なんだかわからないけど不安」
「意外とずっと友達といなくても大丈夫かも」

どれだけ、私たちの日常が公共サービスや見えなかった人々の努力と苦労で育ちや生活の営みが支えられてきたのかが見えてきた3ヶ月。それはどの災害とも同じで教訓があるはずです。この災害でかき消されてしまった声、見えてきた本音は、元の日常生活では見出せなかったけれども、誰もが豊かに暮らすためには必要な声だったはずです。

古くて新しいオンライン時代、今いる私と目の前にいる人の声と気持ちを大切にしながら、生活と学びの保障だけでなく、時間や空間や人間関係のすきま・距離・ゆとりを楽しめる「遊びの保障」もできる時代になってほしいと願っております。

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Author:三宅正太
特定非営利活動法人「山科醍醐こどものひろば」職員。1995年兵庫県出身。大学生時代に「はちおうじ子ども食堂」を立ち上げる。同時期に公益財団法人「あすのば」の設立に関わり、卒業までこどもサポーターとして都道府県ごとのイベントや子ども若者の合宿などの企画を担当。卒業後は滋賀にある特定非営利活動法人「こどもソーシャルワークセンター」で半年スタッフを経験し、現在に至る。

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