Eduwell Journal

2014年2月号 vol.12

子どもの自然体験活動コーディネーターという仕事-子どもと自然と地域をつないで新しい学びを生み出す!

2020年09月02日 13:50 by uedanna



お互いになくてはならない「パートナーとしての馬」という視点

まずは、馬。

「おおーい、離れろよー」と大きな声が森の中に響き渡ります。子どもたちは、固唾を飲んでその方向を凝視します。

すると、バリバリッバキバキッ・・・とけたたましい音と共に、大きな馬が森の中から出てきた!

そう、この馬は、森の中で傾いたまま枯れてしまった大きな木を引っ張り出してくれているのです。

馬の後ろで手綱をさばくのは、木こりさん。まるで呪文のような言葉を馬に発しています。馬はその指示に忠実に従い、人間だけでは絶対に引っ張り出せないような丸太を、いとも簡単に引きずり出します。見た目は普通のオジサンなんだけど、馬とチェーンソーを操る姿は、なんだかカッコよく見えるんだよなあ。

そして、作業が終わったあとは、引き出した木を薪にしてお昼ご飯を作り、馬にえさと水をやり、ブラッシングをして「ありがとね」と声をかけます。

もちろん、子どもも大人も木こりさんも一緒。とにかく、その迫力とわかりやすさ。馬が木を引っ張り出すだけなのですが、小さな幼稚園児も、幼稚園の先生も、一緒に来たお母さんも、「馬という生き物のすごさ」「森の手入れの必要性」「馬を扱う人の技術」「人と自然とのつながり」といった小難しいことを一瞬にして理解することができます。

単なる愛玩動物ではなく、お互いになくてはならない「パートナーとしての馬」という視点。あるいは、馬のおかげで森の手入れが進むという視点。木こりの技術のおかげで、温かいお昼ご飯が食べられるという感謝。分厚い本なんか読まなくても、子どもたちは真実を体に刻み込むことができます。

そのまちの、その森のすべてを食べてることになるんだ

次は、シカ。

ポケットやリュックから繰り出されるのは、スコープ、ロープ、S字フック、シカ笛と呼ばれる、何やら怪しげな音がする笛。そして銃弾、薬莢、ナイフ。かっこいいエンブレムが施された、オレンジ色のジャケット。さすがに猟銃はダメだったけど、次から次へと見たこともない道具が出てきます。

子どもたちは、もうその段階で釘付け(特に男子ね)。

そしてそのオジサンが「猟師」であることを知った時の子ども達の目の輝きといったら。しかも、猟師さんと一緒に普段シカ撃ちをしているフィールドを案内してくれるんだって。もう身もココロも奪われてしまいます。

足跡や食痕を面白おかしく案内してくれながらも、時折、林の向こうで何かの気配を感じた瞬間「キッ」とその方角を見据える眼力。

そこに漂う、僕たちなんかよりも全然深いところで自然と対峙しているからこそにじみ出るオーラ。

言葉なんかなくても、子どもたちはそのオーラに圧倒されます。

その日の晩は、もちろんシカ肉。猟師さんがさばいてくれたものを、地元のお母さんが「シカってさあ、毎日うちの畑を荒らすから、ほんっとに憎いんだよね」とか言いながら作ってくれるエゾシカシチューとエゾシカハンバーガー。いやもう、この文を書いているだけで、ヨダレが出てきます。マジでうまい。食堂は、さっきまであんなにうるさかったのに、一瞬シーンとなります。子ども達のおしゃべりを奪うほどうまいんです。

その瞬間を見計らって・・・「エゾシカを食べるってことは、そのまちの、その森のすべてを食べてることになるんだ。この味は、この森の味なのさ。それが今、君たちの体に染み込んでいるんだ」と、猟師さん。カッコよすぎる。


本物の体験とは一体何だろうか?

「子どもには自然体験活動が必要だ」それはまさにその通りであり、信じているので、ずっとこだわってやってきました。

そして、それを展開する技術、 あるいはスキルといったものを身につけて、多くの子どもたちを自然の中に連れ出し、思いを込めてあれこれやってきたつもりです。さらには「自然体験活動指 導者養成講習」なんていうのを開いたりして人前でエラそうなことを言ったりしています。

それはそれで意義深く、間違っていない事であるとは思っているのですが、その一方、どこかで「なんか違うな」と感じている自分もいました。

子どもたちを自然の中に連れて行くことはできるのですが、いかんせんそこに住んでいるわけではないので、その場の「本当のところ」を伝えたり、感じてもらえるだけのるだけの技量や重さが、ぼくにはないというか、備わらないんです。

じゃあ、人生をやり直して木こりになるとか、猟師になることができるわけでもないし、このままでいいのかなあ、と思っていた時に出会ったのが、前述の「その地域に住むオジサン」たちでした。

「オラァ、子どもなんかキライだ!なにするかわかんねぇべや!」とか言っているオジサンが、いざ子どもの前に立つと、「よろしくね~!」とか言いながらあれこれやってくれるわけです。

しかも、実に楽しそうに。挙げ句の果てには終わったあとに「子どもはこういうことやりたいっつうからよぉ、今度までに 用意しとけよ!」だってさ。なんだよ、あんなに子どもなんかきらいって言ってたのに。

もちろん、子どもたちは目を輝かせて、オジサンたちの一挙手一投足を逃さず、食い入るように熱視線を送り続けます。そりゃそうです。そこにあるものはすべて本物であり、真実ですから。

なるほど、そうか。ぼくのポジションは、そこだな。



大人の事情を切り崩して、「子どもと自然、周りの大人」に寄与すること

子どもと自然とのあいだに、その地域に暮らす人、生き物、その自然を活かすための文化、というものを、まるで虫眼鏡のように挟んであげるようなアクションが、僕たちのような人種の役割ではないでしょうか。おお、これは子どもだけじゃないぞ。その地域も活性化し、今の時代だからこそ光り輝く地域資源の発掘にもつながるはずです。

そんな、子どもと自然と地域をつなげる"子どもの自然体験活動コーディネーター”。

最近、この役割を求める地方自治体は増えてきています。そのための人材育成や雇用創出を狙う仕組み。

子ども農山漁村交流プロジェクトや田舎で働き隊、地域おこし協力隊、などもあるのですが、まだまだ熟成の域には達していません。「子どもが好き」だけじゃできませんからね。

自然に対する知識、安全管理能力、事務処理能力、調整・コミュニケーション能力といったジェネラリストである必要があります。

また、変化を恐れる社会教育や地域行政の体質が根幹となって、旧態依然とした自然体験活動スタイルへの信奉も、その妨げのひとつになっていると思っています。

せっかく面白い資源・素材があるのに、大人の事情がそれを子どもに見せられない、触らせられない。そんな大人の事情を切り崩して、「子どもと自然、周りの大人」に寄与することが我々のポジションだな、と改めてわがミッションを確認しながら、今日も薪ストーブで煮込んだエゾシカシチューをいただいております。

Author:上田融
NPO法人いぶり自然学校・代表理事。昭和48年生まれ。平成8年より北海道の小学校で6年間勤務。平成14年より4年間、登別市教育委員会社会教育グループで社会教育主事として、ふぉれすと鉱山の運営に携わる。平成18年よりNPO法人ねおすの活動へ参画し、道内各地の自治体と協働し、第一次産業の取り組みを子どもたちに体験的に伝え、学ばせるプログラム開発および協議体の設立に関わる。平成20年より苫東・和みの森運営協議会副会長。平成27年より現職。プロジェクト・ワイルドファシリテーター、小学校教諭1種、幼稚園教諭1種等の資格を持つ。

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