ひみつ基地

2014年3月号 vol.13

異常と日常の間で今も見えない不安に悩み・葛藤している!-福島の親と子どもの複雑な胸のうちとは?

2019年09月13日 17:26 by shinshi_tooru


(活動場所での集合。夏場でもマスクをしている。)

福島で生き続けることを選択するということ

東日本大震災が発生した後、福島第一原発事故の影響で屋外活動が制限されている福島県の子どもたちの支援を行ってきました。せめて学校の長期休暇に、何の心配もなく、思いきり「子どもらしい生活」を送ってもらうと同時に、多様な体験や人とのコミュニケーションを作りだすことを目的とした子どもたちの「学びと育ち」を支援する教育事業を実施しています。全国各地でご協力を頂き、これまでに約3,000人の福島の子ども達が参加しています。その活動の中で、こんな親御さんからの手紙を頂きました。


「今は震災前と変わらない生活を送っていますが、心の中では(本当にこれで良いのだろうか)という不安が常にあります。しかし、福島に生まれたのが、この子の運命ならば、精一杯生きて欲しい。勉強、スポーツ、そしてたくさん遊んでいろんな事を経験して欲しい。そしていつか人の役に立てる人間になる事ができたらと思います。せめて夏休みくらいは、自然の中で思いっきり、のんびり遊んで欲しいと思います。そして生きる力を学んで欲しいと思っています。(以下略)」

 


「わが子を少しでも見えない放射線から解放させてあげたい。健康を維持して欲しい。そして社会にこの活動で得た多くの人たちに恩返しをするような大人になって欲しい。」

 


「震災に伴う原発の放射能問題の中で、私は様々な活動をする方たちと話をしたり、時には活動に参加したりしました・・・ですがその活動のほとんどが福島から逃げろ!原発を廃止しろ!というものでした。子供を連れなかなか避難にふみきれない私は『娘さんがこのまま福島に残り被ばくし将来好きな人が出来た時に相手の家族から差別を受け結婚できなかったら避難しなかった親の責任です!』『たかが派遣の仕事と子どもの将来どっちが大切なのか!』などと言われ続け少し放射能ノイローゼ気味になり避難したい私と避難しない主人との間でケンカが絶えず、間に挟まれた娘には相当な不安やストレスを与えていたと思います。」


これは、親の切なる願いです。時間が経過する中で、様々な理由から福島で生きることを家族みんなで覚悟を持って決断した人達がいます。


(山積みにされた除染廃棄物の黒い袋。町の至るところに見られる。)

見えない、無臭の放射線の対応に悩む親達 

福島で暮らしながら子育て真っ最中の親は、県外へ避難すべきか、どこの家庭も悩み、葛藤の繰り返しです。国の放射線の基準も事故後変わるなど、信頼できるかどうか、根底が崩されてしまった状態の中、さらに不安な心が揺れ動いている現状です。

モニタリングで検査態勢も整いつつある学校給食ですが、牛乳、野菜など福島県産を調理している事に抵抗感を抱く母親が、お弁当を持たせていました。それが時間の経過と共にお弁当の子が少なくなって来て、続けている小学5年のC子ちゃんが、ある日「お母さんクラスでお弁当は私だけ、なんで私だけなの?」と目を潤ませて訴えたのです。お母さん「ごめんね。でもあなたの命を守る事はこれくらいのことしかできないの」と・・・学校で置かれている立場も分かる。子も辛い、親も辛い日常です。

体育・運動会・部活、外の活動は大丈夫なのでしょうか?学校で行われる運動会にも変化がありました。運動会の名称ではなく「スポーツフェスティバル」体育館で時間を短縮して午前中で終了するというパターンが広がりました。翌年の2012年度は、校庭の除染も終わったので、運動会が復活したのです。しかし、短縮型でお弁当を外で賑やかに食べる光景はありません。風が吹き土埃が舞う。マスクもしないでと親達は不安を抱きながら、体育・運動会・部活動を見守っているのです。


(民泊をさせていただくご家庭との対面)

支援を受けた子ども達はどうなったのか?
 
福島の子どもの支援活動で、長期保養プログラムが急増しました。「ふくしまビーム」という暗号的な言葉が2012年夏に一部子ども達の間で広がった時期がありました。その意味は、県外で受け入れてくれた地域の人達に、「僕は、福島から来ました。」と最初に伝える言葉です。「福島から来た!」と聞けば、「原発事故で子ども達は大変な苦労をした!」「外で遊べないこともあった!」と直ぐさまイメージするのが一般的です。そこに目をつけた子どもがいたのです。福島の子どもであることを伝えれば、お菓子やお土産も買ってくれるというように、何でも自分の要求することをかなえてくれると考えたのです。その情報を聞き、参加説明会の時に「人としてちゃんと育って欲しいために、活動を起こしたふくしまキッズの心に反します。」と厳重に伝えた後は無くなりました。また保養プログラムでは、子ども達が海外や沖縄など遠くに無償で行ける事から、お世話になった地の人達への感謝の心が薄らいでしまった報告も聞きました。ボタンの掛け違い現象が起きてしまったのです。それは子ども達にとっては良いことではありません。一歩一歩確実に成長して欲しいと思う事と相反する事です。
 
また一方で、親も学校の先生も驚くほどの変化があった子達の報告も受けました。プログラムに参加した後に、家の手伝いをするようになった小学一年生の子がいました。お手伝いをするようになったのは良いのですが、「一回のお手伝いをしたら10円貯金をするからちょうだい!」と言うのでお母さんは困ってしまいました。数日でやめるかと思っていたら、ずっと続くので不思議に思って、お金を何に使うのかと尋ねると「ふくしまキッズがとっても楽しかったから、まだ参加できていない子がいけるように寄付するの!」と言ったそうです。別の子は、「僕が大人になったときに全員福島に呼んで恩返しをしたい。そして将来は医者になって病気を治すんだ!」と誰かに言われるわけでもなく、人の役に立ちたいという目標を持つ子も出てきました。このような子ども達は、まだまだ真っ暗なトンネルの中にある福島の小さな光になっていると感じます。
 

(共に過ごしたスタッフとのお別れ)

心の探り合いは疲れます。
 
3月11日で震災・原発事故から3年が経過しますが、未だ先の見えないトンネルの中にいる状況です。暮らしぶりは普通に戻ってきています。宮城、岩手も被災地ですが、福島にはまた違った現象が起きてしまいました。「原発関連死」という言葉が日常化しています。1,400人を超える人がすでに亡くなっているという報道もあります。事故現場では漏水問題など、日々綱渡り的な事故応対の連日です。毎日が危機状態のはずなのですが、報道回数も激減しているのが現状です。ですが日常生活は普通に戻りつつあるのです。
 
放射線への不安はぬぐい切れません。母親同士でも子育てや放射線の不安な事などざっくばらんに心に思っていることを会話することも、相手を選んでいる状況にあります。「もう3年もたっているのだから、放射線の話は聞きたくないし、話題にもしたくない」という大人。一方、親として「出来る限りの食だけでも安心して食べられるものを子どもの口にして欲しい」と、「どこに行けば手に入るのか?」と聞くことさえもなかなか難しい環境にあるのです。
 
阪神淡路大震災後4年から5年が経過したときに、不登校児童生徒が急増したデータが事実としてありました。福島でも震災後4年目に入るこの時期に、同様のことが起こるのではないかと言われています。先の事ですが自殺や犯罪が増えなければよいと願うばかりです。予防するためには、「大人のぶれない心!」が必要です。なんでも話し合える環境を作ることが急務と感じています。
 

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